『年金』という名の既得権益と『年金真理教』

 

つい何年か前までは、年金の「賦課制」や「積立制」という違いをハッキリと理解している人は少なかったと思われるが、最近になって、ようやく、そういった違いが認識されるようになってきたように感じられる。

 元改革派官僚の古賀茂明氏や大阪市長の橋下 徹氏なども、最近テレビで年金のことをよく口にしているが、彼らは口を揃えて次のような台詞を述べている。

 「年金制度は既に破綻している

 これは言わずと知れたことで、現在の賦課制の年金制度が破綻することは、前世紀から既に判明していたことである。しかし、一度始めてしまったものは途中で止めることができないという、お役所的な都合と、途中で止めてしまうと、これまで支払われてきた年金を返還しなければならなくなるという理由により、ズルズルと問題が先送りされてきた。
 これが民間であれば、ねずみ講犯罪で御用となるところだが、国が運用しているために続けるしかないという袋小路に嵌まってしまったわけだ。「国家公認のねずみ講」とはよく言ったものである。
 「年金未納問題」という別の問題をスケープゴートにすることによって延命を果たしてきた年金制度も、さすがにもう限界ということなのかもしれない。大幅に支給額を減額すれば維持可能かもしれないが、支払った分以上の年金が返ってこないことが初めから判っている制度に参加しようなどというお人好しはいない。

 もし仮に、支払った年金を国民に返還しなければならないということになったとしても満額返還は到底不可能だろうと思う。となると、「借金チャラ」という言葉の如く、「年金チャラ」になる可能性は否定できない。橋下氏の言葉ではないが、このままいくと結局、年金というものは「掛け捨て」の保険だったということになる可能性がある。政治家は誰も口にしようとしないが、政府の本音は「年金チャラ」であることは間違いないと思う。

 テレビのインタビューで民主党の小宮山厚労相は、「国民皆年金というのは日本の社会保障制度の中で、先進国の中でも誇れる仕組みだと思っています」と述べていたが、もはや誇れるような制度でないことは誰もが気付いているのではないかと思う。
「誇れる」という言葉を以下のように変えた方が正解かもしれない。

「国民皆年金というのは日本の社会保障制度の中で、先進国の中でも恥ずべき仕組みだと思っています」

 破綻した制度が国の誇りになるなら、どこの国でも誇りを作ることが可能になってしまう。
 これは一般の家庭に喩えて言うなら、1億円の借金を抱えて豪邸を購入した無職の人間が、「他人に誇れるマイホームです」と自慢しているようなものである。マイホームであろうとマイカーであろうと、借金を返済しないことには自分の所有物にはならないし、借金を返済する能力の無い人間が所有するべきものではない。

 「他国に誇れる制度」であるためには、「運用可能な制度」という条件が必要である。現在の年金制度を少しでも長く運用したいのであれば、「経済成長」というものが絶対条件であるが、その条件を端から無視している民主党に、年金制度を他国に誇る資格が有るとは思えない。

 「既得権益」という言葉があるが、現在、高額な年金を受給している人々というのは、まさにその既得権益者であることを知らねばならない。本来、年金というものは、もしもの時の老後の保険という意味合いが強かったにも拘わらず、国が本当のことを隠している間に、無条件に老後の面倒をみてくれる福祉制度と曲解されるようになってしまった。

 しかしながら、今頃になって「年金制度は実はねずみ講でした」などと言われても、《老後の面倒は国がみてくれる》と固く信じ込んできた人々には、なかなか受け入れられそうもない。悲しいことに日本では、もはや『年金』というものが信仰の対象になってしまっており、生半可なことでは、その洗脳は解けそうにない。

 年金真理教の信者と化した人々は、自らの楽園を守るためには手段を選ばず抵抗することになるだろう。たとえ、それが他人(主に若者)の不幸の上に築かれた砂上の楼閣であったとしても、その楽園に住み続けることを決して諦めはしないだろう。それが、「既得権益」という理想郷(ユートピア)を手に入れた人々の恐ろしさでもある。そういった勢力に対抗できるのは、独裁者のような人物でしかないのかもしれない。

 

九度山 真田の庄